1960年~1970年代にかけての<Beatles(ビートルズ)>や<The Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)>、1990年代に人気を博した<Oasis(オアシス)>や<Blur(ブラー)>など、これまでの歴史を見ても、様々な音楽ジャンルやバンドがイギリス発で生み出されてきた。今回は、そんなイギリスにおいて、マンチェスターで1980年代後半に生まれた音楽ジャンル、そしてカルチャーシーンでもある<Madchester(マッドチェスター)>についての歴史を解説する。
マッドチェスターとは?
マッドチェスターは、1980年代後半にイギリス北西部のマンチェスターで展開された音楽ジャンル・カルチャーシーンの総称である。オルタナティブロック、アシッドハウス、ダンスカルチャー、サイケデリア、1960年代のポップなどを様々な分野を融合させたジャンルであり、マンチェスターにあったレコード会社「Factory Records(ファクトリー・レコード)」とナイトクラブ「The Haçienda nightclub(ハシエンダ・ナイトクラブ)」を中心に展開されていった。
1980年代初頭、マンチェスターでは、Joy Division(ジョイ・ディヴィジョン)やThe Smith(スミス)のような暗い雰囲気が残るバンドが多かった。しかし、1980年代後半、より高揚感のあるサウンドが出現するようになった。そして、1988年にアシッド・ハウスが登場し、マンチェスターは新しいサウンドを持つマッドチェスターとなり、マンチェスターの若者はバギーズと呼ばれるパンツをファッショナブルに着こなすようになった。
マッドチェスターの代表的なアーティスト
Inspiral Carpets(インスパイラル・カーペッツ)、James(ジェームス)、Stone Roses(ストーン・ローゼズ)、The Charlatans(ザ・シャーラタンズ)、808 State(808ステート)、Happy Mondays(ハッピー・マンデーズ)、The Mock Turtles(モック・タートルズ)など、数多くのマッドチェスターと呼ばれるジャンル・カルチャーがイギリスのインディー音楽のシーンを支配するようになった。
上記で述べたバンドは、Joy Division(ジョイ・ディヴィジョン)、The Smith(スミス)、Morrissey(モリッシー)、The Fall(ザ・フォール)といった1980年代のバンドのロックサウンドと、ロンドンや他のヨーロッパの首都のアシッド・ハウス・ミュージックを融合させることによって、<Madchester(マッドチェスター)>を実現した。
【関連記事】UKジャズシーンの再注目バンド、エズラ・コレクティヴが新曲「May the Funk Be with you」をリリース
マッドチェスターの歴史
ここでは、マッドチェスターの歴史をさらに細かく6つの観点から解説する。
ルーツ
マッドチェスターは、ダンスミュージックでありながら、ミュージシャンの多くはロックから影響を受けている。例えば、The Smith(スミス)、The Fall(フォール)、Joy Division(ジョイ・ディビジョン)などのバンドは、マッドチェスターのサウンド・テンプレートに多大な影響を与えた。
ニューオーダーの登場
Joy Division(ジョイ・ディビジョン)の解散後、残されたメンバーで、エレクトロ・ポップ・バンド「New Order(ニュー・オーダー)」が結成された。ギターリストのバーナード・サムナーとベーシストのピーター・フックが中心ながら、キーボードを多用したダンスグルーヴが特徴的であり、前述したマンチェスターのレーベル、「Factory Records(ファクトリー・レコード)」の看板バンドとなった。
Factory Records(ファクトリー・レコーズ)の成功
New Order(ニュー・オーダー)の成功によってもたらされた大金により、Factory Records(ファクトリー・レコード)とそのオーナーであるトニー・ウィルソンは、マンチェスターの他の多くのダンスアーティストと契約し、シーンを盛り上げることに成功した。契約者の中には、Happy Mondays(ハッピー・マンデーズ)、Northside James(ノースサイド、ジェームス)などがいた。
The Haçienda nightclub(ハシエンダ・ナイトクラブ)による盛り上がり
マンチェスターのナイトクラブ「Haçienda Nightclub(ハシエンダ・ナイトクラブ)」は、当初、The Smith(スミス)などを代表とするオルタナティブロックのライブを開催していた。しかし、1986年頃よりアシッドハウスやその他のダンスジャンルを取り入れ始め、その後も、サブ・サブやケミカル・ブラザーズといったダンスグループから、Oasis(オアシス)やStone Roses(ストーン・ローゼズ)といったロックバンドまで、多彩なアーティストを迎え、マンチェスターの中心となるクラブとなった。
The Second Summer of Love(セカンド・サマー・オブ・ラブ)
1980年代後半、特に1988年の夏にマンチェスターで「The Second Summer of Love(セカンド・サマー・オブ・ラブ)」と呼ばれるダンスムーブメントが起きた。若者たちはナイトクラブに集い、ライブ音楽とダンスに没頭し、夜を過ごした。各地で大規模なレイヴが開催され、ドラッグの文化と強く結びついていることから、かつてのヒッピー・ムーブメント「Summer of Love(サマー・オブ・ラブ)」になぞられた名称となった。
マッドチェスターの衰退
90年代初頭には、マッドチェスターを特徴づけるサウンドの「インディー・ロック」と「アシッド・ハウス」は、別々のシーンへと分岐し始めた。オアシス、ブラー、ザ・ファーム、ジェームス、スープ・ドラゴンズなどのイギリス出身のロックバンドは、ビートルズや60年代のサイケデリックバンドが築いた道を歩んでいた。一方で、アシッドハウスやエレクトロニックミュージックのシーンはロンドンに移り、やがてプロディジーやファットボーイ・スリムのようなスターを生み出すことになる。ブライドウェル・タクシーズやフローデッド・アップのように、ロックとダンスの両方を1つのバンドに融合させようとしたグループもあったが、商業的に同じレベルの隆盛を遂げることはなかった。