ロンドン中心部、テムズ川沿いに佇む「サヴォイ・ホテル(The Savoy Hotel)」は、世界的に知られる老舗高級ホテルである。1889年に開業し、当時としては革新的な設備を導入したロンドン初の近代的ホテルとして誕生した。創業者は劇場興行師リチャード・ドイリー・カート。劇場「サヴォイ・シアター」の成功を背景に、同名のホテルをオープンさせた。

歴史と伝統の舞台裏
サヴォイ・ホテルは、電気照明、エレベーター、各部屋に給湯・冷水を完備した先進的な設備を備え、英国の上流階級を中心に瞬く間に人気を博した。また、イギリスで初めて「カーボンニュートラル」の取り組みを始めた高級ホテルとしても知られ、歴史の中で時代の最先端を歩み続けている。当時としては破格の70万ポンド(現在の価値にして数十億円)を投じて建設された。つまり、現代の「ラグジュアリーホテル」の原型ともいえる存在だった。また、初代総料理長には、後に「近代フランス料理の父」と呼ばれるオーギュスト・エスコフィエ(Auguste Escoffier)を招聘し、ヨーロッパ中の美食家たちを惹きつけた。
第二次世界大戦中、サヴォイ・ホテルは一部を政府の軍事関連施設として提供しながらも、営業を続けた。当時、避難のために滞在していた政治家や王族たちが、地下に避難しながらディナーを楽しんだという逸話が残っている。
グルメの殿堂としての魅力
宿泊施設としてだけでなく、グルメスポットとしても圧倒的な存在感を誇る。
サヴォイ・グリル(Savoy Grill)
ミシュランスターシェフ、ゴードン・ラムゼイが監修していることで知られている「サヴォイ・グリル」では、伝統的なイギリス料理を楽しめる。かつてウィンストン・チャーチルも常連であったという。1904年の開業以来、マリリン・モンロー、フランク・シナトラといった歴史的人物が足繁く通った伝説的な場所だ。クラシックなブリティッシュキュイジーヌを中心に、モダンなアレンジを加えた料理を提供しており、特に人気メニューはビーフ・ウェリントン、ロブスター・サーマドール、トラディショナル・ローストなど。
内装はアールデコ様式を取り入れた重厚なデザインで、落ち着いた中にも豪華さを感じさせる。ドレスコードは「スマートカジュアル」で、ややフォーマル寄りの服装が求められる。ランチは£50〜、ディナーは£100〜と、ロンドンの一流レストランとしては標準的な価格帯となっている。

テムズ・フォイヤー(Thames Foyer)
また、「テムズ・フォイヤー」では優雅なアフタヌーンティーが提供されており、サヴォイの中央に位置するガラスドーム型アトリウムラウンジ。自然光が降り注ぐ明るい空間で、季節ごとに変わるクラシックな3段スタンドのティーセットが提供される。サンドイッチ、スコーン、ペストリー、そして厳選された紅茶のラインナップは、英国伝統を今に伝えている。
演奏者による生演奏(ピアノや弦楽四重奏)もあり、格式高い優雅な時間を演出する。料金はアフタヌーンティーで£80前後から、シャンパン付きにすると£100を超えることもある。特にクリスマスシーズンは予約困難となり、数ヶ月前からの事前予約が推奨される。

アメリカン・バー(American Bar)
アメリカン・バーは1893年に開業し、世界最古クラスのカクテルバーとして知られる。「アメリカン・スタイルのカクテル」をヨーロッパに持ち込んだ先駆けの一つであり、ここで生まれたカクテルも多い(例:サヴォイ・カクテル・ブックに収録されたレシピ)。著名なバーテンダー、ハリー・クラドック(Harry Craddock)もかつて在籍しており、彼の作る「サヴォイ・マルティーニ」は伝説となっている。
バーのインテリアはクラシカルながらモダンな要素も取り入れており、薄暗い照明とジャズの生演奏が、エレガントかつリラックスした雰囲気を醸し出している。カクテルの価格は£25〜£30程度で、オリジナルカクテルやクラシックなメニューが豊富。バーカウンターの席は特に人気が高く、事前予約が推奨される。

ボーフォート・バー(Beaufort Bar)
ボーフォート・バーは、アメリカン・バーとは対照的に、よりゴージャスでドラマティックな空間を持つラグジュアリーバーである。もともとは劇場の舞台だったエリアをバーとして改装しており、金と黒を基調としたインテリアが印象的だ。ここでは、より実験的でアバンギャルドなカクテルが楽しめる。例えば、舞台芸術や音楽からインスパイアされたテーマ別カクテルメニューがあり、カクテルそのものが一つの芸術作品のように演出される。
また、シャンパンリストの充実度はロンドン随一と言われており、希少なヴィンテージシャンパンもグラス単位で楽しめる。カクテルは£30〜、シャンパンはグラス一杯£40〜と高価格帯だが、記念日や特別な夜にはふさわしい体験ができる場所である。

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芸能人・著名人とのゆかり
サヴォイには、世界中の著名人が数多く宿泊してきた。マリリン・モンロー、フランク・シナトラ、チャーリー・チャップリン、ビートルズといった伝説的人物に加え、エリザベス・テイラーやテイラー・スウィフトなど、時代を代表するスターたちも名を連ねている。イギリス王室関係者もたびたび訪れており、まさに国際的な社交場となっている。
マリリン・モンローとローレンス・オリヴィエの騒動
1956年、マリリン・モンローは映画『王子と踊り子(The Prince and the Showgirl)』の撮影のためにロンドンを訪れた。このとき、彼女と共演・監督を務めた英国の名優ローレンス・オリヴィエも一緒だった。二人はサヴォイ・ホテルに滞在し、極秘の打ち合わせやプレス対応をこのホテル内で行っていた。しかし、撮影は悪夢のようだった。モンローは遅刻と情緒不安定を繰り返し、オリヴィエは激怒。モンローは逆にオリヴィエの横柄な態度に傷つき、両者の関係は急速に悪化していった。サヴォイのスタッフたちは、モンローを慰めたり、オリヴィエの怒りをなだめたりするために奔走したという。サヴォイの廊下でモンローが泣きながら一人座り込んでいた、という目撃談もある。この対立は映画完成後も続き、二人の確執はハリウッド史に残るスキャンダルとなった。

フランク・シナトラの「サヴォイ貸切パーティ」
1950年代、特にサヴォイをこよなく愛したフランク・シナトラは、ある夜、アメリカン・バーを完全に貸し切り、プライベートパーティを開いた。その夜、参加したのは政治家、映画スター、ロンドン社交界のトップたち。シナトラは即興で歌い、ピアノを弾き、夜明けまで続いたこの宴は「サヴォイ史上最も華やかな夜」と言われている。ちなみに、スタッフへのチップも伝説的な額で、バーのスタッフ全員に当時の平均月給の数倍に相当する現金を渡したそうだ。
チャーチルと「肉の密談」
また、第二次世界大戦中、ウィンストン・チャーチルはサヴォイ・ホテルをたびたび訪れていた。1940年頃、肉の供給制限(配給制)が問題となった際、チャーチルはサヴォイ内で食肉業界関係者との極秘会合を開き、「国民に美味しい肉を供給するにはどうするべきか」を真剣に議論したという。この会議が後に、戦時中でもイギリス国民に比較的安定した食肉供給ができた理由の一つとされている。
宿泊者に選ばれる理由
サヴォイが多くの人々を魅了する理由は、単にラグジュアリーな施設であるという点だけにとどまらない。格式と現代的快適さを融合させたインテリア、テムズ川を望む立地、24時間対応のコンシェルジュサービスやバトラーサービスなど、細部まで行き届いたホスピタリティが高く評価されている。また、環境配慮型の取り組みにも力を入れており、持続可能なラグジュアリーを実現する先駆者的存在でもある。
世界基準を作った「おもてなしの精神」
ゲスト一人ひとりを特別扱いするホスピタリティ。これは開業者ドイリー・カートと、伝説的な初代支配人セザール・リッツ(のちの「リッツホテル」の創業者)が徹底的に重視したものだ。
- 滞在中のゲストの好みや習慣を密かに記録し、次回訪問時にはそれを完璧に再現する
- ゲストが求める前に「気づき」「提案」する
- どんなリクエストも「できない」と言わず、最善を尽くす
- ロイヤルファミリーから無名のゲストまで、全員に敬意を払う
これらは今日の高級ホテル業界の基本となり、世界標準を作ったと言われている。
スタッフの卓越したプロフェッショナリズム
サヴォイのスタッフは、単なる接客係ではない。教育水準が極めて高く、次のような特徴がある。
- 採用時点で英語以外に1〜2か国語を話せることが求められる
- ソムリエ、バトラー、コンシェルジュなど、各分野で国際的な資格保持者が多い
- 「サヴォイらしさ」を守るため、ホテル独自のトレーニングを受ける
- ゲストの小さな表情や声のトーンから、ニーズを先回りして察する訓練がされている
例えば、ゲストが雨に濡れてロビーに入ってきた場合、言葉を交わさずともすぐにタオルと温かいドリンクを用意する、といった対応が自然に行われる。
伝統と革新のバランス
サヴォイは130年以上の伝統を守る一方で、常に革新も取り入れてきた。
- 環境に配慮した取り組み(例:省エネ、地元食材使用)
- 最新のテクノロジー(例:客室のスマートコントロール)
- 多様性・インクルージョン(例:LGBTQ+ゲストへの配慮、国際色豊かなスタッフ)
この「古き良き気品」と「現代的な柔軟さ」の両立が、他の老舗ホテルと一線を画している。
ホスピタリティを象徴するエピソード
いくつか、実際に語り継がれているサヴォイならではの対応を紹介する。
- 特注のメニュー作成:あるヴィーガンの大富豪ゲストのために、通常メニューとは別に、わずか数時間で完全オリジナルのヴィーガンコースが開発・提供された。
- 紛失物の奇跡的発見:ある外国人ゲストがロンドン市内で紛失した大切な書類を、サヴォイのコンシェルジュが市内の複数箇所に連絡・現地確認をして、見事に発見・返却した。
- ゲストの誕生日サプライズ:リピーターのゲストがサヴォイ滞在中に誕生日を迎えると、スタッフが内緒でゲストの好みに合わせた特注ケーキと演奏隊を用意し、プライベートパーティを演出した。
これらの事例は、単なるマニュアル対応ではない「人間らしい温かみ」に支えられている。
人気の客室と費用感
サヴォイの客室は全267室。特に人気が高いのは「リバービュー・デラックスルーム」や「ジュニアスイート」といった、眺望や広さに優れた部屋である。
- リバービュー・デラックスルーム:テムズ川の絶景が楽しめる。費用は一泊あたり約£900〜1,200(約18〜25万円)。
- ジュニアスイート:リビング付きでゆったりとした滞在が可能。約£1,300〜1,800(約26〜35万円)。
- リバービュー・スイート:バルコニー付きで贅沢な景色と空間を楽しめる。約£2,000〜3,000(約40〜60万円)。
- ロイヤル・スイート:著名人や王族のための超高級スイート。費用は£10,000〜20,000(約200〜400万円)とされる。
テムズ川が見える部屋は特に人気が高く、ハネムーンやプロポーズなど、特別な日の宿泊先として選ばれることが多い。

最後に
サヴォイ・ホテルは、単なる宿泊施設ではなく、英国の歴史・文化・芸術が息づく「体験の場」である。100年以上の伝統と、革新的なサービスが融合したこの空間は、ロンドンを訪れる誰にとっても忘れがたい滞在を約束してくれるだろう。