ベトナムの都市部を歩けば、視界を埋め尽くすほどのブランドロゴに圧倒される。だが、その光景を支えているのは、グローバルな知財戦略とは無縁の「フェイク・マーケット」という名の巨大なエコシステムだ。この現象は、単なる「偽物売り」の枠を超え、ベトナムの急激な工業発展が生んだ「歪な副産物」とも言える。
なぜこれほどまでに堂々とフェイクが流通しているのか。その独特な力学を紐解く。
経済と観光の歴史的ピーク
世界銀行の予測によれば、ベトナムのGDP成長率は2025年に6.8%、2026年には6.5%に達する見込みだ。観光産業もかつてない活況を呈しており、2025年は国際到着数で過去最高を記録。2026年もその勢いは止まらず、フーコック島やダナン、ホイアンといった観光地は「世界で最も魅力的な目的地」の常連となっている。
それに付随して、食文化の進化も目覚ましい。2025年度のミシュランガイド・ベトナムでは、ホーチミンの「Akuna」や「CieL」といったレストランが新たに1つ星を獲得。ストリートフードから洗練されたファインダイニングまで、ベトナムは今や世界トップクラスの美食都市へと変貌を遂げた。
そして、最も勢いがあるのはクリエイティブ分野だ。コン・チ(Cong Tri)やファン・ダン・ホアン(Phan Dang Hoang)といったデザイナーがミラノやパリのファッションウィークで賞賛を浴び、Fanci ClubやLa Luneといったローカルブランドは世界のセレブリティを顧客に持っている。「Made in Vietnam」は、今や「独自のアイデンティティを持つ高品質なクリエイション」の代名詞になりつつある。
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世界の工場ゆえの「横流し」という構造
これほどまでに洗練されたカルチャーが育つ一方で、ベトナムには目を疑うような光景が残っている。それが、堂々と営業を続ける巨大なフェイクマーケットだ。
ベトナムは今や、世界のアパレル・靴製品の主要な生産拠点である。Nike、Adidas、The North Faceといった巨大ブランドの工場がひしめき合っている。この環境が、フェイクの供給源として機能している側面がある。
ブランド側が指定した発注数を超えて密かに製造された「オーバーラン(過剰生産)」と呼ばれる品々は、正規の販路を通ることなく裏ルートを通じてそのまま市場へと流出する。さらに、厳格な検品プロセスでわずかな不備を指摘され、本来であれば廃棄処分されるべき「B級品」が、業者の手によって横流しされるケースも後を絶たない。これらは、結果として「本物と同じ素材やラインを使いながら、ブランドの承諾を得ていない非正規品」という、きわめて境界線の曖昧な商品群として流通している。
こうした「生産現場との物理的な近さ」が、皮肉にもフェイク品の圧倒的な流通量を支えているのだ。

高級デパートの隣に潜む「コピーの聖地」
ベトナムのフェイク・カルチャーの象徴的な光景が、ホーチミン市の中心部にある。洗練されたサービスを提供する「ホーチミン高島屋」のすぐ目と鼻の先に、コピー品の巨大マーケット「サイゴン・スクエア」が位置しているのだ。
最新のハイブランドを扱う正規店のすぐ隣で、その「そっくりさん」が山積みにされている。このあまりにもあからさまな対比は、ベトナムにおける著作権保護の緩さと、経済成長の過渡期にある独特のエネルギーを物語っている。


多岐にわたる模倣の領域:ロレックスからストリートまで
取り扱われる商品の幅広さと、トレンドを追いかけるスピード感もまた、この市場の異様さを際立たせている。かつてのような粗悪なコピー品は影を潜め、今やそのターゲットは、時計愛好家を惑わすほど精巧に作られたロレックスやパテック・フィリップといった高級時計の模造品にまで及ぶ。また、トレンドに敏感な若年層を狙い、シュプリームやオフホワイトといったストリートブランドやNIKEやAdidasの新作が、正規発売から間を置かずに店頭に並ぶスピード感も異常だ。さらに、レイバンのサングラスや、名だたるメゾンが誇るアイコニックなバッグ類など、雑貨に至るまでその侵害の裾野は広がり続けている。





知財意識の乖離と「観光コンテンツ」化の危うさ
東南アジアの一部には、「ロゴやデザインは共有されるもの」という、ブランド権利に対するフラットすぎる感覚が一部で見受けられる。消費者側も「安くそれっぽく見えれば良い」という割り切ったマインドを持っており、これが需要を絶やさない一因だ。しかし、これらはあくまで他者の知的財産を侵害したものであることに変わりはない。観光客が面白半分に手を出す光景もよく見られるが、正規のクリエイティブへの敬意を欠いたマーケットであるという事実は否定できない。
成長の陰に潜む、解決すべきジレンマ
ベトナムのフェイク市場は、この国の「製造力」の強さを証明する一方で、国際的な商道徳や権利保護という面では大きな課題を突きつけている。この「なんでもあり」なカオスを単に楽しむのではなく、急成長する新興国が抱える「法と実態の乖離」として捉えるのが、今のベトナムを正しく理解する視点だろう。

