【Supremeが作ったニューヨーク】30年間、世界が熱狂するカルチャーの中心であり続ける理由

1994年、ニューヨーク・マンハッタンのラファイエット・ストリート274番地に、一軒のショップがひっそりとオープンした。Supreme(シュプリーム)である。創業者のジェイムス・ジェビア(James Jebbia)が目指したのは、単なるアパレルショップではなかった。当時のスケートボードシーンには、高品質とは言い難い子供向けのウェアが溢れていた。ジェビアはそこに本物のスケーターが誇りを持って着ることができる服を置いた。また、店の入り口は広く設計され、スケーターがデッキに乗ったまま滑り込めるようにレイアウトされていた。顧客に媚びるのではなく、コミュニティそのものを尊重する、その姿勢が、ブランドの原点にある。本記事では、Supremeを紐解いていく。

スポンサーリンク
目次

赤いボックスロゴとゲリラ的なブランド戦略

Supremeの象徴といえば、白抜きのロゴを配した赤いボックスステッカー。このデザインはアメリカの芸術家バーバラ・クルーガーの作風にインスパイアされたもので、シンプルながら視覚的なインパクトは絶大だった。ローンチ当初、ジェビアたちはこのステッカーをニューヨーク中の企業広告や街の看板に貼って回ったという逸話が残っている。広告費ゼロ、しかし街そのものがメディアになる。このゲリラ的なアプローチは、後にSupremeが確立する情報を与えすぎないブランディングの原型でもあった。

パンクとヒップホップを中心としたサウンドトラック

Supremeのアイデンティティを語るとき、音楽という要素は切り離せないだろう。ブランドは、1980年代から90年代にかけてニューヨークで人気を博した二つの音楽シーンを採用した。ひとつは、Bad Brains(バッド・ブレインズ)に代表されるパンク・ハードコア。人種やジャンルの境界を壊しながらも、反骨精神を体現するその姿勢は、スケーターカルチャーと深く共鳴した。もうひとつは、Public Enemy(パブリック・エナミー)が牽引したゴールデンエイジ・ヒップホップ。政治的で鋭利なメッセージは、単なるエンターテインメントではなく、社会への異議申し立てだった。スケーターたちがハードコアの爆音に身を預けながら、同時にヒップホップのビートで身体を揺らす。その混沌としながらもピュアなニューヨークの空気感こそが、Supremeというブランドを象徴するサウンドトラックとして今も流れ続けている。

ファッション界への影響

Supremeがファッション界に与えた影響は、単にストリートウェアが流行したという話ではなく、ファッションそのものの権威構造を変えた。2000年代まで、ファッションの頂点はパリやミラノのラグジュアリーブランドにあり、ストリートウェアは、いわば、下位文化として扱われていた。しかしSupremeは、希少性・コラボレーション・コミュニティという三つのレバーを武器に、その構造を逆転させた。

決定的だったのが2017年のルイ・ヴィトンとのコラボレーション。LVのモノグラムとSupremeのボックスロゴを組み合わせたコレクションは、パリ・メンズウィークのランウェイに登場し、世界中のファッションメディアに衝撃を与えた。ハイファッションがストリートに降りてきたのではなく、ストリートがハイファッションを対等なパートナーとして迎え入れた瞬間だった。これ以降、グッチ、ディオール、バレンシアガといったメゾンブランドが相次いでストリートウェアの文脈を取り込み始めた。いまではストリートとラグジュアリーの融合はファッション界の主流となったが、その最初はSupremeだっただろう。

また、Supremeが広めた限定少量をリリースするドロップモデルは、現代のファッションの消費方法を根本から変えたといえる。従来のシーズン制ではなく、毎週土曜日に限定アイテムを少量リリースするこの手法は、希少性と期待感を武器にしたマーケティングの手本として、NikeのSNKRS販売やAdidas Yeezyのリリース戦略など、その後のスニーカー・ストリートウェア業界全体に波及した。

関連記事|【Palace Skateboards】レヴ・タンジュとロンドン発のスケートブランドが塗り替えたストリートカルチャー

ニューヨークへの影響

Supremeはニューヨークという都市のカルチャーとどう関わってきたのか。ソーホーのラファイエット・ストリートは、1990年代当時、まだ高級ブランドが立ち並ぶ街ではなかった。アーティストのアトリエ、インディペンデントショップ、スケーターが集まるストリートが混在する、混沌としたエリアだった。Supremeはそこに根を張り、その空気を自らのDNAに刻み込んだ。そしてブランドの成長とともに、ソーホーはニューヨークのストリートカルチャーの聖地として国際的な注目を集めるようになる。今や世界中からスケーターやファッション好きが訪れるこのエリアの変遷に、Supremeの存在は深く絡み合っている。

さらに見逃せないのが、ニューヨークのマイノリティ・コミュニティとの関係性だ。Supremeは創業当初から、黒人・ヒスパニック系のスケーターやアーティストを積極的にチームに迎え入れ、彼らの表現を前面に押し出してきた。それは90年代のNYにおいて決して当たり前のことではなかった。スケートボードとヒップホップが交差するカルチャーシーンで、人種の壁を軽やかに超えていく。その姿勢が、Supremeをニューヨークという多様な都市の縮図として機能させてきた。

スケートボードが2020年の東京五輪で正式競技となり、その後急速に競技人口を広げた背景にも、Supremeをはじめとするストリートカルチャーがスケートへの憧れを育ててきた影響は大きい。スケーターはアウトサイダーという時代から、スケーターはクリエイターへ、その価値転換を担ったブランドのひとつと言えるだろう。

アートとストリートの境界を壊すコラボレーション

Supremeは、コラボレーションの選択においても一貫して独自の哲学を示してきた。ルイ・ヴィトン、ナイキ、ノース・フェイス、コム・デ・ギャルソンといった異ジャンルのブランドとのコラボに加え、アンディ・ウォーホル、キース・ヘリング、村上隆、ダミアン・ハーストといったアーティストとの協業も話題を呼んだ。これらのコラボは単なる商業的な提携ではなく、ストリートカルチャーとハイアートの境界線を意図的に曖昧にする戦略だった。毎シーズン、発売日(ドロップ)に世界中の店舗前に長蛇の列ができる光景は、もはやSupremeの風物詩となっている。限られた数量、事前告知をほぼしない運用スタイルは、消費者の欲しいと思わせる感情を巧みに刺激し続けている。

スケートビデオという表現媒体の刷新

2014年に発表されたフルレングス・スケートビデオ『Cherry(チェリー)』は、スケートボード映像の歴史における大きな転換点となった。監督を務めたウィリアム・ストロベックは、それまでのスケートビデオの定石であるトリックの難易度を正確に記録するというものを解体した。彼のカメラは、完璧に成功したトリックだけでなく、転倒の痛み、警備員との衝突、滑り終わった後の何気ない溜息といった行間を捉えていた。この手法は極めて主観的で、芸術的だった。結果として『Cherry』は、Supremeを単なるアパレルブランドから、ニューヨークという街のドキュメンタリーを紡ぐ表現者へと押し上げた。

3人のアイコン、ブランドが体現してきた理想の変遷

各時代においてSupremeが求めた「リアルさ」の基準は、3人の象徴的なスケーターの姿に見ることができる。Fucking Awesome (ファッキン・オーサム)を立ち上げたジェイソン・ディル(Jason Dill) は、90年代から2000年代にかけてブランドのカリスマとして君臨した。予測不能な言動と圧倒的なセンスは、Supremeが持つ「危うさ」と「芸術性」を体現していた。その後継者となったのが ショーン・パブロ(Sean Pablo) 。2010年代、彼はスケートボードとユースカルチャー、そしてハイファッションを軽やかに横断し、新しい時代の「クール」を定義した。そして現在のNYCシーンを牽引するのが タイショーン・ジョーンズ(Tyshawn Jones) 。圧倒的な身体能力とスター性を兼ね備えた彼は、Supremeが守り続けてきた「本物であること」を、スポーツとしての高みで体現し続けている。

Jason Dill

フォロー数ゼロのInstagram、独自のブランディング

創業から30年以上が経った今も、SupremeのInstagram公式アカウントはフォロー数を0に保ち、コメント欄を閉鎖し続けている。これは単なる気まぐれではない。情報の過消費を拒絶し、自分たちが信じる価値観だけを一方的に放つ極めて排他的で、それゆえに強固なブランディングの表れとなっている。

2020年にはVF Corporationが約21億ドルでSupremeを買収し、翌2024年にはEQTパートナーズへの売却も報じられた。資本の論理が幾重にも絡まろうとも、ブランドの中心には依然として創業当時の「ラファイエット・ストリートの意志」が宿っている。世界がどれほど変化し、トレンドが移ろいでも、Supremeはカルチャーを体現するブランドそのもので、今も最前線に立ち続ける理由となっている。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次