2018年、一枚のコンピレーション・アルバムがロンドンからリリースされた。タイトルは「We Out Here」。Gilles PetersonのレーベルBrownswood Recordingsがリリースしたこのアルバムは、Ezra Collective、Nubya Garcia、Moses Boyd、Shabaka Hutchingsといった9組のアーティストによる全曲新録音で構成され、2010年代後半のロンドンで育まれてきたジャズシーンを作り上げていった。
Gilles Peterson|40年間、誰よりも早く次を聴いてきた男
Gilles Petersonは1964年、フランス・カーンで生まれた。父はスイス・チューリッヒ出身、母はパリ出身というヨーロッパ的なルーツを持ちながら、幼い頃にロンドンへ移り、サウスロンドンで育った。キャリアの出発点は海賊ラジオ。ロンドンのアンダーグラウンドに違法送信機を設置し、Radio InvictaやJazz FMで番組を持ったのが始まりとなり、その後Kiss FM、BBC Radio 1、そしてBBC Radio 6 Musicへと活動の場を広げ、現在のRadio 6 Musicの土曜日午後枠は同局で最も人気のある番組の一つとなっている。そんな彼は単なるラジオDJではなく、「音楽キュレーター」という特徴に強みがある。
80年代後半にはAcid Jazzを設立し、その後Talkin’ Loudを立ち上げてRoni SizeのReprazentをMercury Prize受賞へと導いた。現在の拠点となるBrownswood Recordingsは2006年に創設。メジャーレーベルが次々と看板を下ろしていたその時期に、「純粋な情熱と考えの甘い楽観主義から生まれた」と彼自身が語るほどの逆張りの決断だった。それから20年、Brownswood Recordingsはロンドンからハバナ、ヨハネスブルク、メルボルンまで、世界各地のシーンを記録し続けてきた。今やジャズの文脈において世界で最も文化的に重要な独立レーベルの一つとして、アリーナを埋める規模のアーティストたちのキャリアを築き上げている。
レーベル活動に加えて、オンラインラジオ局Worldwide FMも主宰し、ジャズドラマーSteve Reidの名を冠した財団を通じて経済的困難にある音楽家への支援も行っている。Petersonが自らの役割についてこう語ったことがある。「私がずっとやってきたのは、入り口を作ることだ。音楽を知らない人、出会う機会がなかった人に、どうやって扉を開けるか。それはどんな文化にも、どんな芸術にも必要なことだと思う。誰かが扉を開けてくれる人間が必要で、私はそういう人間でいたい。」16歳のとき、誰かが大音量でジョン・コルトレーンの「Giant Steps」をかけてくれた。その体験が彼を変えたという。それ以来40年、Petersonは自らが体験したその「扉を開けられる感覚」を、次の世代に手渡し続けている。
キングスランド・ロードの近くのハックニーの倉庫
もう一方のトレンドの発祥地は、北ロンドン、ハックニーのファーレイ・プレイスにあった。外から見ると「キッチン・バスルーム改装承ります」という看板が掲げられた建物。入口を見つけること自体が一苦労で、内部も決して洗練されているとは言えない。しかしここがTotal Refreshment Centre(TRC)。UKジャズのカルチャーが生まれるもう一つの重要な場所となっている。
もともとはエドワード朝時代の菓子工場として使われていたこの倉庫は、1990年代にはMellow Mixというカリブ系コミュニティの社交クラブ兼リハーサルスペースへと生まれ変わった。そして2012年、TRCとしてスタジオ兼ライブ会場として、再オープンした。TRCが他の会場と決定的に違ったのは、コミュニティ性にこだわったことだろう。若いミュージシャンたちに舞台のチャンスを与え、演奏を検証する空間を与え、失敗できる場所を与えた。音楽家、映像作家、サウンドエンジニアが同じ屋根の下で作業し、ジャンルの境界を意識せずに互いのスキルを持ち寄った。
サウスロンドン発のミュージシャン
TRCだけがこのシーンを作ったわけではない。もう一つの重要なトレンドの柱として、Tomorrow’s Warriorsというジャズ教育機関がある。1991年、ベーシストのGary CrosbyとJanine Ironsによって設立されたTomorrow’s Warriorsは、黒人ミュージシャン、女性ミュージシャン、そして経済的な事情からチャンスを得られない若者たちに向けた無償のアーティスト育成プログラムを提供してきた。アルミナイにはShabaka Hutchings、Moses Boyd、Nubya Garcia、Binker Golding、そしてEzra Collectiveのメンバーたちが名を連ねる。
彼らは単に音楽を学んだのではなく、お互いを知り、お互いのバンドに参加し、協力してシーンを作るという文化を体で覚えた。「ロンドンのジャズシーンを形成したものは何かとよく聞かれる。コミュニティが大きな部分を占めている。お互いを気にかけ、話し合い、情報を共有し、称え合うこと。それがWarriorsだ」とNubya Garciaは語る。

イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票の影響
2016年のイギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票は、英国社会に大きな亀裂を生んだ。移民やマイノリティのコミュニティへの緊張感が高まる一方で、その時代の空気は新世代のジャズミュージシャンたちの音楽に、独特の力を与えることになる。

その象徴が、Moses Boydのアルバム「Displaced Diaspora(離散した移民)」だ。サウスロンドン出身で、父方がドミニカ、母方がジャマイカにルーツを持つ彼は、自らの音楽を「黒人音楽の拡張、ディアスポラの表現」と語った。Ezra Collective、Nubya Garcia、KOKOROKOといった同世代のミュージシャンたちも同様だ。彼らはグライムとアフロビートから強く影響を受け、このジャズ・ムーブメントをUKの多文化主義そのものとして鳴らした。
アメリカのジャズ・リバイバルとの決定的な違いは、ここにある。アフリカ、カリブ、グライム、クラブカルチャー、ヒップホップなど、複数のルーツと文化が等しく混ざり合い、「ジャズとは何か」という問いを解体しながら、まったく新しい答えを提示していた。単一のルーツに根ざしたリバイバルではなく、多国籍で雑食的な、ロンドンにしか生まれえない音楽だった。
We Out Hereの制作
Gilles Petersonがこのシーンに注目したのは必然だったと言える。彼はそれまでもずっとそういう仕事をしてきた。まだ誰も知らない場所で、まだ誰も気づいていない音楽を見つけ、世界に届けること。
「We Out Here」を制作するにあたり、PetersonのチームはロンドンのスタジオにTRCやTomorrow’s Warriorsのネットワークで繋がった若手アーティストたちを集め、2017年秋の数日間でセッションを行った。過去のベスト盤を寄せ集めるのではなく、全曲新録音というアプローチを選んだことに、このプロジェクトの意志が表れている。「いま、この瞬間に何が生まれているのか」を記録することへのこだわりだった。
アルバムはリリース直後から音楽メディアに衝撃を与え、2018年のベストアルバムに各誌が選出した。そして翌2019年、Petersonはこのアルバムを起点に野外フェスティバル「We Out Here Festival」をケンブリッジシャーで立ち上げる。音楽配信全盛の時代に、なぜ野外フェスなのか。それはシーンをリアルな場として体現しようとする試みであり、扉を開けるという彼の哲学の延長線上にある。
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「ジャズ・レイヴ」という言葉が生まれた夜
2018年の夏、ロンドンのField Dayフェスティバルで奇妙な光景が目撃された。午後の熱気の中、ヒップスターたちで埋め尽くされたテントで、人々がレイヴさながらに飛び跳ねた。パンクバンドでも、テクノDJでも、グライムのMCでもなく、Sons of Kemetというジャズバンドに向けてであった。
「ジャズ・レイヴ」という言葉はこの時代のロンドンで自然発生的に生まれた。ライブ演奏の即興性とクラブカルチャーのフィジカルな快楽が交差するこのシーンは、これまでのジャズが持っていた座って聴くものというイメージを根本から書き換えた。TRCで培われた実験精神が、より大きな舞台に飛び出した瞬間だった。
シーンは今もなお続く
2023年、Ezra CollectiveはMercury Prizeを受賞した。ジャズバンドとしては1997年のRoni SizeのReprazent以来、実に26年ぶりの快挙だった。そのReprazentもまた、Gilles PetersonのTalkin’ Loudから世に出たバンドだった。
一方で、TRCは2018年にHackney Councilから閉鎖通知を受けた。急速にジェントリフィケーションが進む東ロンドンにおいて、文化的スペースがいかに脆弱な存在であるかを示す出来事だった。それでもシーンは消えなかった。場所が失われても、そこで育まれた人間と音楽と信頼のネットワークは残り続けた。
「We Out Here」というアルバムタイトルには、単純な意味がある。俺たちはここにいる、と。それは国民とうひょうの嵐の中で、ディアスポラのルーツを持つ若いミュージシャンたちが音楽を通じて発した静かで力強い声だった。そしてGilles Petersonはその声を、世界が聞けるように扉を開けた。

